もしも自分が創造主だと気付いていなければ、自分の作り出した存在が殺害されても傷付かない。
逆に、自分が創造主だと気付いてしまうと、世界の全ては遊戯であり、ドラマになってしまう。
ええ、SS書きの自分は時折キャラを不幸にします。
それは書いてる自分と読んでくれる誰かにとって楽しい訳で、SAGAの『かみ』と同じ、造られた者の存在の尊厳を揺るがす残虐な行為です。
……でも、どんな悪役でも、どんなむさ苦しい怪物でも、どんな目に会わせても、やっぱり自分の子は可愛いですよ。
書物の登場人物は『所詮は泡沫の幻』だし、同時に『剥離した紛れも無い自分自身』であり、つまり矛盾してるようで二つの感情は同時に内包し得るのだと思います。
更に自身が世界の内側に入り込めるまでになれば…ねぇ。
……ちなみに、カルナは尽きる事を知らず世界を楽しみ越えようとする人だから。自分の作品が造物主を超えたなんて死に方、最強に愉快そうに笑って逝くのではないかと思います。彼にとっては、自己否定じゃない、紛れも無い自分自身の作り手としての能力への肯定の一撃なのですから。
…実際に製作者がそう考えてるかは知りませんが。
kayoさん>彼らを繋ぐ絆は血縁じゃないですから、世代的には孫でも、『大元から分岐したカルナから更に分岐した可能性』つまりは矢張り『彼』の子供で、同時に『彼自身』であるものかと。
……残酷かもしれないけれど、彼は確かに造り手を屠った、それは物語の定めた因果律の中の事であって、其れすらも運命の定めだとすれば……うん。
外側の世界の彼を殺さない限り、カルナは本当の意味で自分の世界の限界を越えて行く事は出来ない。
偶然でなく必然が生んだ世界は、だからきっと、残酷なのです、そんな薄暗さが好きだけど。