「ハァッ、ハァッ……!」
「ヴグルルゥ……ッ」
人の激しい息遣いと獣のくぐもった猛り。
彼――冒険者のビンセントは先ほどオーガの打撃を受け、ふらつく頭をどうにかコントロールしながら走り続ける。
胸ポケットの中には先ほど手に入れた魔法石。
廃坑で比較的容易に獲れるそれは他の宝石と違って人間には大した加護はもたらさない。
だが彼ら冒険者にとってその宝石は、魔物達の隙間を潜り抜け見事生きて帰ってきた証ともなるため、ダンジョンに挑む者たちの中では、お守りも兼ねて下手に高価な宝石よりも好まれる。
右手には愛用の弓。
背中にはちゃんと矢があり、間合いさえ保てば魔物の命を穿つ一閃を放つ事が出来る。
……が、その間合いがなかなか開かない。
全身が筋肉で出来ている怪物。
その異常とも言える逞しい体躯から生み出される運動エネルギーは並大抵ではない。
本来なら既に捕まって彼の骨が次々に砕かれていてもおかしくない。
全力で走るのはもう限界だから。
それでも捕まれば死ぬと分かっている状態なら普段以上の力を人は出せるものだ。
ビンセントは足に込める力をさらに、限界まで上乗せし、地を蹴る。
そして間合いが閉じる短い間に弓矢を放つのに必要なやたら多い予備動作を全て終え、
「はあっ!!」
目の前の怪物の命を奪うべくして放たれた線がオーガに向かう。
ビンセントが土壇場で放った矢はしかし正確にオーガの脳天に突き刺さった。
「はあ、はあ……っふぅー」
オーガが息絶えたのを確認し、安堵するビンセント。
出口ももうそんなに遠くない。
戻ったら町の骨董品屋さんに頼んでこれを指輪に加工してもらって……、
と、これからの事に思いを巡らせていたビンセントは、
「グガアアアアアッ!!」
新手のオーガに殴り飛ばされていた。
島唯一の町にある酒場。
ここは島にあるダンジョンに潜る冒険者達の溜まり場になっている。
彼らは毎日のようにここに集まり、お互いの情報を交換したり、自らの或いは相手の武勇伝を肴に酒を飲み交わしている。
カウンターに座っている赤髪の青年、リトもその一人である。
「やっぱズルッちくねえか? 一人の冒険者が三人もの魔神を従えてるなんてさ」
陰口に聞こえないでもないが彼は堂々と正面からリトに話しかけている。
ついでに捕捉するとあくまで冗談混じりの口調なので、本当に妬んだりしているわけではなさそうだ。
「つうか魔神が、ってよりもその三人が皆可愛い女の子だって事が憎たらしいんだよなー、このっ」
茶髪の青年がリトの頭を腕で軽く拘束し、拳をグリグリと押しつける。
「や、やめてくださいって! イアソンさん!」
それを必死で振りほどこうとするリト。
イアソンは現役の冒険者の中では最も経験豊富で皆から兄貴分として慕われている。
性格もこの通り、非常に気さくだ。
……その腕の力がかなり本気なのには、リトも背中に冷や汗が伝うのを禁じえないが。
「あ〜あ、俺にもこんな美人な相棒が出来ないかねぇ……」
「何言ってんだよ。イアソンの兄貴は冒険が恋人みたいなものじゃねえか」
イアソンの言葉にさり気なくツッコむ金髪の青年、ミルコ。
「ありゃ? そういえばあなたのパートナーってどうしたの? ハティ」
「どういう風に繋がって『そういえば』なのよ……」
茶髪のストレートヘアー少女の質問にまずはジト目を返す金髪のショートヘアーをした女性。
「一昨日一人で廃坑に行くって出ていったっきり帰ってきてないわよ」
ぶすっとした顔で答える。
ついでにどことなく機嫌が悪い理由も言外で教えてくれた。
「彼氏が素っ気ない対応したわけね」
「彼氏!? 何よ、彼氏って!?」
くわっと顔を上げるハティ。
気性が荒い部類に入るハティは妙な事を言った(客観的に見ればそうでもないのだが)グレイスを問い質す。
それに対してグレイスは相変わらず人をからかうような口調でハティを冷やかしている。
「……………」
リトとしてはどうしても気になっている事があった。
いや、気になっているというよりは単純に不安、だろう。
彼らと同じくよくこの酒場に訪れる緑髪の青年、ビンセント。
弓の腕はかなりのもので彼なら単身廃坑に挑むのも無謀というほどの事ではない。
しかしそれにしたって、いつもペアを組んでいるハティを置いて一人で行く理由は見当たらない。
それに一昨日から帰ってきていない、という事実。
確かにこの町から廃坑に行くにはゲートを使っても結構な時間が必要な上、廃坑自体の探索もすぐに済むようなものではない。
だがどうにも、彼に何かあったのではないか、という不安が鎌首をもたげてくるのだ。
薄暗い廃坑の中。
ビンセントの意識はすでに朦朧としていた。
先ほどの一撃で肋骨が何本か折れてしまった。
そして続く二撃目で今度は頭を庇おうと覆った左腕が砕けた。
三撃目でようやく彼はオーガの間合いから抜け出す事に成功した。
「……うっ」
残った右手でダガーを握ると胸部に痛みが走った。
目の前にいるオーガは三体。
それも、うち一体は青髪をした上位種、バルトアンデルス。
生還できる目があるか、と問われれば首を横に振るのが適当だろう。
この身体でこれだけのモンスターに敵うはずがない。
しかし諦めればその瞬間にこの命は冥府に持ち去られてしまう。
ビンセントが鋭く見据えたのと同時にバルトアンデルスが地を蹴った。
「(来るッ!)」
「雄風よ、万物を薙ぎ倒す力に! シアル・サー!」
少女の鋭い声が聞こえた。
次の瞬間、激しい風が吹き、モンスター達を吹き飛ばす。
「わわっ……」
ビンセントには魔法の風の影響はほとんどない。
だがそれでも身体を既に限界まで痛めつけられた彼のバランスを崩すには十分だ。
「よっ」
だがよろけたビンセントをリトが抱き留め、そのまま跳躍する。
オーガがリトの目の前に立ちはだかる。
それに対し彼は瞬時にビンセントの持っていたダガーを投げる。
咄嗟に投げたとは思えないその正確な投擲は一寸の狂いもなくオーガの脳天を貫く。
そのまま走り抜けようとしたとき、横からバルトアンデルスが襲いかかってくる。
「げ……」
かなりのスピード。
これはさすがに防ぎようがな――
「でりゃあああっ!」
刹那、バルトアンデルスの巨躯が、彼が考えていた停止座標を超え、さらに横に行く。
正確に言うと、何者かに吹っ飛ばされた。
「今のうちに急いで! 出口まで突っ走るわよ!」
ナックルガードを装備し、バルトアンデルスを殴り飛ばしたハティが叫ぶ。
走る三人。
後方では二体の魔物が追い掛けてきている。
「風を枷に。永久の縛りを! アナド!」
あわや追いつかれるというところでファルが束縛の魔法を発動。
ようやく逃げ切ることに成功した。
「まったく! 何で一人で廃坑になんて行ったのよっ!」
ゲートを潜り、今リトたちがいる場所は彼らの居住区でもある町。
ティララの治癒魔法のおかげでだいぶ楽になったが、それでもしばらく安静にしなければならないビンセントに向かって、せめてハティは言葉をぶつけ続ける。
「ごめん」
それに対し、ビンセントは苦笑いを返すのみで質問には答えない。
「はあー、もういい。早く家に帰って休みましょう」
ハティは溜め息を吐きながら身体を反転する。
――こいつはいつも笑うだけであたしには何も教えてくれない。
「いや、酒場に行こう」
「はっ? 何言ってんのよ、あんた!?」
リトの提案にハティは混乱しながら声を荒げる。
いくらティララが傷を治したとはいえ、ビンセントの身体は自由に動くような状態ではない。
「いいんだ、ハティ。僕がみんなに頼んだんだ」
そう言いながらビンセントは身体を酒場の方へと向ける。
「(また、あたしを置いて話が進んでいくのね……)」
時を少しばかり遡り、リトとハティが酒場を出る頃。
リトは結局、ビンセントを探しに廃坑へ向かう事にした。
一緒に行く事になったハティは既に外に出ている。
彼も早く出ようと、足を前に出した時、
「リト。ビンセントを見つけたら酒場に引っ張ってきてきてくれ」
と、言われた。
「? 別に良いですけど何で?」
「まあちょっとな。来れば分かる。お前も絶対に戻ってくるんだぞ」
それはこの酒場に、というよりも廃坑から帰ってこい、という含みが強く感じられた。
「はい!」
閑話休題。ハティが酒場のドアを開く。
その瞬間、
「おっかえりーっ!」
まだあどけなさの残る青髪の最年少冒険者が弾けるような声とともに手に持ったクラッカーを鳴らす。
パパパパパーンッ
それに続くように他の冒険者もクラッカーを鳴らし、店内はクラッカーの炸裂音で満たされる。
「え? えっ!?」
ドアから入り、クラッカーのテープを浴びているハティは驚く他ない。
「ビンセントの生還祝いだよ。今日はパーッといこうぜ!」
笑顔で叫ぶイアソンの顔は赤みを帯びている。
既に結構な量飲んでいるようだ。
「はあ……」
少し納得のいかなそうな顔をしながらハティはビンセントと一緒に中央のテーブルに座らされる。
「って、何であたしも中央のテーブルに!?」
「気にしないで良いんじゃない?」
「するわよ!」
お気軽に言うグレイスにツッコむハティ。
その後で指定されたのとは別の席に座ろうとする。……が、
「ハティはこっちに座らないとダメなのっ」
ファルがその小さな手でハティを引っ張る。
彼女まで自分がこの席に座る事に拘っているのは解せないが、とりあえずこの必死になっている少女を引き剥がして別の場所に行く、などという非道な行為にも走れるわけがない。
第一、そこまでして拒絶する理由も特にないのだ。
「はぁ〜、わかったわよ……」
渋々と椅子に座るハティ。
マスターが酒、つまみとともに幾つかの軽食を持ってくる。
中には明らかにマスターの技量を越える品も並んでいたのだが、余談なので多くは語らない。
「うぅ〜、ほらリトも飲みなさいって」
「いや、既に飲んでるけど……」
言ったとおり、リトの傍らには既にグラスがあり、酒も十分量注がれている。
「男ならそんなみみっちい器じゃなくて、これでしょ!」
ドンッとティララが置いたのはワインボトルそのもの。
その容量、1.5リットル。
完全に据わった目は言外に一気飲みを強要している。
「ぐおっ! げほ、げほっ!」
「どうしよう」と思う間すらなく、リトの口にビンの口が入れられ、口内には酒が流し込まれる。
「ほらほら。イッキ、イッキ!」
「……………」
以後しばらくの間、リトは目を開かなかった。
酔い潰れたのではない、溺れたのだ。
「さあ、いよいよメインイベントだ!」
気が付けばパーティーを仕切っていたイアソン。
彼の言葉にハティは怪訝そうな表情を浮かべた。
初めから何か妙なパーティーではあった。
ビンセントの生還祝い、とは言っていたが、もし万が一、彼が生きていなかったらその準備は無駄に、虚しい事この上ない結果になってしまう。
現に今まで、生還祝いという名目で行なわれたパーティーは何日か置いて開かれたものだ。
単純に考えて……何か別の目的がある?
「ほら、ビンセント! 男らしく決めちまいな!」
「分かっていますよ」
世話焼きな先輩冒険者に急かされて、ビンセントが立ち上がり、金髪ショートヘアーの女性の前に立つ。
「はいはい、ハティもいつまでも座ってないで。スタンダップ♪」
グレイスもハティを半ば無理矢理に立たせる。
「なっなんなのよ、もうっ!」
仕方なくビンセントと向かい合うハティ。
緑髪の青年はいつもの穏やかな瞳に決心を宿し、ポケットから出した物をハティに渡す。
「魔法石……?」
それは廃坑の壁によく埋まっている魔神の力を増幅させる不思議な鉱石。
「これを……君に贈りたいんだ」
ビンセントの緊張した、それでいて強い意志を含んだ瞳。
先ほどファルまでもがハティをこの席に座らせる事に拘っていた事実。
何より、今のこの酒場を覆う空気。
全てはハティにこのパーティーの真の目的を示唆している。
つまり――
「プロポーズ、ね」
「なっ、そんなわけないじゃないっ!」
思わず否定するハティだがその主張を助力する理屈はこの酒場内には存在しない。
魔法石は他の守護石のように何か明確な効力を持っているわけではない。
少なくとも人間にとっては。
だから彼ら冒険者にとって、魔法石というのはお守りとしての役割以上のものはない。
だが例外として。
異性に贈られる場合は転じて、グレイスの言った意味となる事が多い。
……尤も、ビンセント本人もいきなりそこまで話を進めるつもりはなく、
「恋人として……付き合ってくれませんか?」
までが限界だった。
ギャラリーはその程度で満足するはずもなく、ギャアギャア言っているが、その渦の中心は緊張で硬直している。
それはもうツッコミの一つも出来ないほどに。
ハティはビンセントに贈られた魔法石を見る。
特に加工されているわけでもない。
これを加工する日が来るとすれば、それはやはりアレだろうか……。
ハティはそこまで先の事を考える性質ではない。
今はとりあえず目の前の探索仲間と晴れて恋仲となるか。
だがその答えはあまりにも淡泊と、彼女の頭から算出された。
「……まあ、あんたとも付き合いは長いし、そういう仲にもなれなくはないけど」
妙な言い回し。
顔が赤いことからも照れ隠しなのは明白だった。
後日。
リト達がダンジョン探索をしていた時、たまたまティララの魔力が尽きてしまった。
それを補給しようとリトはティララに魔法石を渡し、なぜか直後にバエラをぶつけられた。
ちなみにその時のティララの表情は素→驚→恥→怒→爆、とシフトしていったらしい。
何が彼女をそうさせたのかは分からず、それはまた別の話。
☆あとがき☆
最初に。第二回、小説投稿コンテストの開催おめでとうございます。
そして最後までこの作品を読んで下さり、ありがとうございます。
作者のヴィシルです。
今回も稚作ではありますが、参加させていただきました。
相変わらず、テーマの酒場よりも目立っているものがあるような気が……^^;。
まあ、ビンセントとハティ。二人のIFをそれなりにきちんと書けた(つもり)なので、とりあえずは良しとしておきます。
いつも稚作ばかりを贈っていますが、この作品を読んで何か心に残るものがあれば幸いです。
最後に改めて。
再びこのコンテストを開いてくださったダイス様、そしてここまでお付き合いしてくださった読者の皆様へ。
ありがとうございました。