龍になった少女−7 〜雨の日の伝承歌〜

著者:karina

  少女は唯、愛が欲しかった。
  自分を撫でてくれる人が居て
  自分を抱き締めてくれる人が居れば充分だった。

  嗚呼……もしも、無力な少女のままで居られたら。
  或いは、矢に貫かれて一思いに死ねたのであれば。

  最愛の父親を。
  自らの手で殺さずに済んだのに。

  静かな波打ち際に、応える者は無く。
  ――龍は全てを失い、孤独となる。

龍になった少女、喪われし第六の書より。

「はいっ、薬草詰め合わせ二つと解毒剤(アンチドーテ)ですね」

接客スマイル全開。
雑多に商品が積み上げられたカウンターの中を機敏に動き回り、注文された薬品を掻き集めて来る。
彼女のトレードマークとも言える空色の大きなリボンも相俟ってか、何処か『ねこねこ』に似ているな、とリトは思った。

此処は閉ざされた島に唯一残された小さな町。
外界に繋がる門を真正面に、目抜き通りの一角に面した、この町で唯一の道具屋である。
立地条件は最高、競合店は無し、おまけに店主兼看板娘のイリスは可愛くて気立てが良くて調薬の腕もいい。
となれば、商売繁盛大黒字でも良い筈なのだが……。

新米冒険者向けに半ば慈善事業として売り始めた、目玉商品の薬草十個入り詰め合わせセット(定価より二割引)ばかりが売れて、此処数ヶ月間大赤字なのである。
高価な苦いドロップ(効能、封印解除。500G也)なんか、全然売れないし。(そりゃそうだ、普通の人間は魔法なんて使えないんだから。)
おまけに居候を一人抱えていて、その居候が魔神(それも、よりによって女の子ばっかり!)を三体も連れ込んだりして、食費だけでも大変な今日この頃。
先日、その居候が地下室の薬品庫から商品を無断で持ち出そうとしている所に出くわした時には、流石の温厚なイリスもブースト寸前だった。
素直に謝ってくれたから許したけれど。

『もうっ!リトさんの前世は盗賊に決まりですっ!』

事実、其の通りである。
ファルならこう言うに違いない。『イリス、リトはとんでもない物を盗んで行ったの!それはティララの壷と心なのー!』
実のところ、図書館のユーノ・ユーナ姉妹から譲り受けた盗賊の七つ道具も、前世でリトが愛用していた物だったりする。
巡り巡って元の持ち主の所へ戻って来たりするのだから、運命とは面白い物だ。

『万引きは即死ですよ!ネコババも駄目です!私に翼が生えて空飛んじゃったりするかも知れませんよ……?』
『(イリスに翼が生えて空を飛んだら……結構、萌えるかも……)』
『あーっ、今、「それもいいかも」って思ったでしょーっ!なぁーうぅーーっっ!!』

リトは本気でブチキレたイリスの恐ろしさを知らない。
だから、イリスはやっぱ天使よりねこねこだよなー、なんて能天気な事を考えて居られるのだ。

「リトさん、リトさん、今日は新商品が入ってるんですよー」
「新商品?」
「はいっ。じゃじゃーんっ、鎮静剤(トランキライザー)っ☆」
「……要らね」
「ええっ!?どうしてですかーっ!とっても便利なんですよっ、これっ!?」

イリスはカーミラと面識があるらしい。
マスターと死別したイリスが道具屋を始める上で、調薬を彼女に教えてくれたのはカーミラだ。
そのカーミラは彼女のマスターに調薬を学んだ。
嘗て北の小国(ソルグラント)の軍勢を率いて魔神王リトに挑んだ若き指揮官は、腕のいい錬金術師でもあった。
彼が遺した膨大な調薬のレシピは、技術を引き継いだカーミラが暇を見て文書化している。
イリスは森や廃坑で薬種を採取したりするついでに、カーミラの館に出向いては、新しい処方を教えて貰う。

そして新商品を店頭に並べては、売れるのは薬草詰め合わせセットばかりと云う現実に、今日もため息を吐く訳だ。
……生きるって厳しい。

リトとイリスが商談をしている間、ファルは店先に並んでいる商品を見て回る。
透明な硝子瓶に詰められた青い水薬。貝殻の器に盛られた白い膏薬。
其れらに混じって、掘り出し物の棚に陳列されている切断されたクゥの尻尾を見付けてしまったファルは、哀れな毛玉生物の最期を思い浮かべて身震いした。
……でも、ちょっと欲しいかも。

「あ、それですか?お安くしておきますよー。滅多に手に入らないお値打ちモノです!」

クゥの尻尾は色々と便利なのだ。
掃除用具にしてもいいし、洗顔や食器洗い、先端部分を切り取って化粧道具としても使える。
沢山集めて寝具に詰めたり、解いて毛糸玉にして衣類に編み上げてもいい。
勿論、普通に使えば少しの間、凶暴な魔物を退ける事も可能だし、
ファルの愛用しているコボルトの尻尾のように、服に縫い付けて飾りにしてもいい。

但し、沢山集めるのは結構大変かも知れない。

第一に、希少品だ。
クゥ自体が人里離れた迷宮深部にしか生息していない。
おまけに、彼らは臆病で人見知りをする。
人間の足音を聞くや否や、猛烈な勢いで身体を振動させて、瞬く間に姿を隠してしまう。
冒険者達が《クゥの空間渡り》と呼んでいる現象の事である。

クゥ達にだって言い分はあるだろう。
誰だって、包丁(銘:乙女丸)で尻尾を切り取られたり、空々麺に調理されて食されるのは御免被る。
だから、クゥの捕獲は至難なのだ。
ファルが壷の中で養殖している、人に慣れた極僅かな例外を除いては。

「幾らなんだ、それ?」
「はいっ、お値段たったの400Gですっ。苦いドロップよりもお安くなっていますよー?」
「(欲しいなぁー。でも……)」

自分のお気に入りの服のお尻の部分にクゥの尻尾を取り付けた姿を思い浮かべてうっとりとするファル。
そんなファルを遠巻きに怯えた様子で取り囲むクゥ達。
心成しか微妙に、元の色よりも更に青褪めているようにも見える。
『みぃーっ、凄いのーっ。クー達とお揃いなのー。リトに買って貰ったんだよー♪』
『きゅ……きゅいあぁぁあぁぁあぁぁぁあぁあぁーーーーーーーーーーー!!!!!!!!』
もう我慢の限界とばかりに、悲鳴を挙げて逃げ出す仲良しのクー。
『あーっ、駄目なのーっ!逃げちゃ駄目なのぉーっ!』
『きゅいあぁあぁぁああぁーーーー!!!』
『きゅあーーっ、きゅあぁあぁあぁーーー!!!』
『きゅいあぁあぁあぁぁぁーーーーー!!!』
『ふぃぃーーっ、みんな逃げちゃ駄目ぇーーー!!!』
次々に空間渡りで姿を消して行くクゥ達。
そして数ヵ月後、林檎樽の中から折り重なって、飢えと渇きで干草の様に萎びてしまったクゥ達の死体が――!!!

「みっ、みぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜っっ……(がくがくぶるぶる)」

何て恐ろしい。でも、十分に有り得る。

「どうする、ファル?欲しいんだったら買ってやるぞ?」
「いっ、要らないっ!!」

折角のリトのプレゼントの申し出を断ってしまうファルである。

「……そうか?なら別にいいけど……」

それきり、リトはイリスとの商談に戻ってしまう。

「(欲しいけどっ、凄く欲しいけどっ、大事なお友達の信頼には変えられないのぉ〜〜〜っ!!!)」

クゥの尻尾への未練を断ち切るように、ぎぎぎぎぎっ、と首を回す。
其処には、目玉商品の薬草詰め合わせ。
イリスは地下水道を通り抜けて、ねこねこの森近辺から天然物を摘んで来ている。
町でも栽培されているけれど、養殖物は効き目が大幅に落ちてしまうのだ。

その隣の棚には、気付け薬が沢山並んでいる。
普段は20Gで売られている其れは、17Gに値引されていた。
訳あり品、と値札に書かれている。
調薬に失敗して品質が落ちた物や、売れ残ってしまって消費期限が近付いた物は、格安で買える事がある。


更にその隣の棚には……試験管の様な細長い瓶に詰められた赤い水薬が数本並べられていた。

「………みぃ」

イリスの手書きの札が添えられていた。

[ ドラゴンブラッド:250G  酷い怪我や病気に良く効きますよ ]


――買い物を済ませたリトが呼んでいる。

ファルがリトと連れ立って店を出ると、崩れ模様だった空は黒雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨が降り始めて来た所だった。

「あー、これは大降りになるな。……今日は出掛けるのやめとくか……」

つい今し方出て来たばかりの店に引き返すのは少し跋が悪い気もするが、こんな悪天候の日に冒険に出掛ける気にも成れない。
扉の向こうではイリスが、呆れ混じりの笑みを浮かべながら、タオルを準備して待ち受けているに違いない。

「戻ろうぜ、ファル」
「……んーん。ファル、もうちょっとだけ表に居るの……」

水龍の魔神であるファルは、雨が大好きだ。
そう、自己紹介で聞かされていた。

「そうか?風邪を曳かない内に入って来いよ」

……だから、リトは気付かない。
空を見上げるファルの涙が、雨に溶けて頬を伝っている事に。

リトは、イリスの道具屋の二階の一室に居候させて貰っている。
昔、イリスのマスターが存命であった頃に使われていた部屋だそうだ。
一人用の寝室であるから、寝台も寝具も一つずつしか無い。
なので、ファルは夜になると自分の壷の自分の家に帰って、おねんねの部屋の自分のベッドで眠っている。

先日までは家の中を三部屋に区切っていたけれど、クゥの調教が終わっておねんねの部屋ともじゃもじゃの部屋を一つにしたから、
今はとても広いお部屋に一人と、分身のファルが三人、それに六匹のクゥが一緒に暮らしている事になる。

一番左端がファルのベッドだ。
右側の三つは、最近ずっと眠りっぱなしの分身達が使っている。
クーとお友達になって、一人遊びをしなくなった頃から。
朝も昼も夜も、ずっと眠りっぱなしの分身達は、段々と姿が薄く透けて、希薄になって来ている様な気がする。
何時か、自分の中に戻って来て、完全に消えてしまうのだろう。
少し寂しいけれど、それは自分にとって良い事なのだと、ファルは思う。

くぅー。くぅー。

クゥ達の寝息が聞こえる。
新たに調教を終えた五匹のクゥ達は、銘々勝手に分身達のベッドに潜り込んで眠り扱けている。
ファルのベッドに潜り込むのは、尻尾に赤いリボンを付けた、一番最初の友達……クーだけの特権なのだ。
飼い主としては六匹一緒に潜り込んで来てくれても大歓迎なのだけれど。
これで結構、独占欲や縄張り意識が強い生き物なのだ、クゥは。

「きゅぅっ、きゅいあーっ」

毛玉をもふもふしてやると、クーは尻尾を振り振り、ファルに甘えて擦り寄って来る。

「あのね、クー」

昼間、道具屋で見た、クゥの千切れた尻尾を思い出す。

「ファルね、クーの尻尾、大好きなの」
「きゅいあー」
「でもね、もしもクーの尻尾が無くなっちゃっても、ファル、クーのこと大好きだよ」
「きゅいあっ!?」

慌ててクーが尻尾を隠すようにファルから離れる。

「ふぃぃーっ、違うのーっ!ファル、クーの尻尾を毟り取ったりしないのーっ!!」
「きゅいあーっ……」

斯くもクゥとの意思疎通は難しい。
ファルは以前、クーの毛を剃刀で刈り取って、ヒゲティララやヒゲディーヴァを作って遊んだ前科があるから、警戒されるのも無理が無い気もするのだけれど。

「おやすみ、クー」
「きゅう、きゅいあっ」

ふかふかの親友を抱き寄せて、深い眠りへと落ちて行く。
今夜は、あの夢を見ませんように、と祈りながら。

ガタ、ゴト。 ガタ、コト。 ガタ、ゴト。

単調なリズムを繰り返しながら、一台の馬車が石畳の街道を走り抜けて行く。

「はぁっ、せやっ、はぁっ!」

御者が駆る馬は、六頭立て。
絢爛豪華な四輪馬車は、高名な芸術家が手懸けた精緻な細工に彩られて、金ぴかの眩い輝きを放つ。
王侯貴族が乗るような……いや、実際に貴族が乗っている。
男は薬品商。
難病奇病を瞬時に癒す奇跡の万能薬を売り捌き、一代にして巨万の富を築き上げた。
莫大な財力を背景に政財界に進出。
爵位拝領後は軍閥を形成し、宮廷内外に絶大な影響力を持つに至る。

「ファル、疲れたかい?」
「………みぃ」

天鵞絨の黒いドレス。
大粒の宝石を鏤めた沢山の装飾品。
身体を締め付けて、とても動き辛いから、人形の様にじっとしている。
少女は伯爵令嬢。
髪と瞳に湛える青は、沈鬱な海の深淵の色。
両の細腕に巻かれた包帯には、痛々しく鮮紅の華を無数に咲かせて。
刻み込まれた傷跡は、少女が癒した人の数……。

「もうすぐ、着くからね」
「………はい、父さま」
「いい子だ。愛しているよ、私の可愛いファル……」

嗚呼、もうすぐ着くのか。
少女は車窓の外の空を仰ぎ見る。
一面の青の彼方、海鳥の群れが飛んで行く。
空も、潮風の匂いも、変わらないのに。
世界は、何処までも遠くなった。

――今日も、父親(タフムーラス)は、愛しい娘(ファルドゥン)の腕を切る。

其れは古の事――。

病に苦しむ者が、大地を掘ったところ、不思議な壷を掘り当てたと云う。
壷の中からは美しい女性が現れ、不思議な力を用いて人々を癒した。

女性は女神として崇められるようになり、其の名は世に広く知れ渡った。
白亜の神殿には各地から救いを求める者が溢れ、誰もが救いを得る事が出来た。

然し、平穏な時代は長くは続かなかった。
女神の力を得ようとする神官達の間に醜い争いが起こり、やがて戦争が始まった。

女神は自らが分け隔てなく救った者達が互いに殺し合うのを見た。
そして、自らの存在を疑った。

ある日、一人の少年が神殿から女神の壷を盗み出す。

争っていた神官達は狼狽した。
女神を失えば全てが失われる。

少年は壷を抱き、一人逃げた。
少年は女神に恋をしていた。

追っ手が幾人も現れ、少年を殺そうとした。
然し、其の度に少年は健気に生き延びた。

やがて、数百万の軍勢が少年を包囲する。
其の時になって、漸く愚かな者達は、自らが過ちを犯した事に気付いた。

群がる軍勢は閃光と共に蒸発し、女神の怒りが世界に満ちた。
世界が始まった時以来の恐怖が辺りを覆った。

海が山と成り、山が海と成り、大地は炎によって焼き清められた。
為す術も無く人は死んだ。

少年が再び息を吹き返した時、恐ろしい程の静寂が辺りを包んでいた。

人は滅んだのかと思う程の大破壊。
この時、一度世界は終わったのだ。

然し、怒れる女神も多少の手加減は心得ていた。
瓦礫の中から這い出して来た人々が、再び家を建て、家は街と成った。

そんな中、女神の祝福を得た少年は王と成った。
国は栄え、人々は平穏を得る事が出来た。

若き王の前途は洋々としていた。

ある女神の物語より。

ファルは覚えている。

あの運命の日。
村を襲った嵐が過ぎ去り、空は眩し過ぎる位に晴れ渡っていた。

「けほっ、けほっ、かはっ」
「ふぃぃ〜っ、お父さんっ、大丈夫っ!?」
「……大丈夫、私は平気だよ、ファル」

今にも消え入りそうな掠れ声で答える。
父親の容態は、悪化の一途を辿っていた。

この村に、医者は無い。
医薬品を扱う道具屋も無い。

貧しい海辺の小さな村に、少女は父親と二人きりで暮らしていた。

少女の名は、ファルドゥン。
父親の名は、タフムーラス。

母親は、少女を産み落とすのと引き換えに、この世を去った。
だから、少女は母親の顔を知らない。
物心付いた時から、父親と二人、助け合い、身を寄せ合って生きて来た。

朝早くに漁に出て、夜遅くまで帰って来ない父親を支える為に、少女は家事の一切を引き受けていた。
掃除、洗濯、炊事……辛いと思った事は一度も無い。
其れが極当たり前の毎日であったし、父親の喜んでくれる顔が、抱き締めてくれる温もりが、何よりのご褒美だったから。

夜になって、父親が家に帰って来る。
少女は父親を出迎え、食事を共にする。

また朝が来ると、父親は海に出てしまう。
一緒に居られる夜だけが、少女が父親に甘えられる時間だった。

共寝する布団の中で、時に満天の星空の下で。
父親は少女に色んな物語を聞かせてくれた。
遠い昔の少年と女神の恋物語や、遠い国の不思議な毛玉生物の話。
目を輝かせて聞き入る内に、少女はやがて微睡に落ちて行く。
父親は、少女が眠りに就くまで、優しく髪を撫で続ける。

そんな静かで穏やかな毎日がずっと続いて行くのだと、少女は信じていた。

――寒い冬。

父親が熱を出して倒れた。
酷い咳が止まらない。

『過労が祟って風邪を拗らせよったかの。良い医者に診せてやれれば良いのじゃが……』

村の古老が薬草の煎じ汁を調合して飲ませてくれた。
だが、半ば迷信に近い民間療法だ。
父の病は一向に回復の兆しを見せなかった。

少女は付きっ切りで父親の看病を続けた。
稼ぎ手が倒れて、少女の家の生活は困窮した。
売りに出せる家具は売り尽くし、次第に明日の食事にも事欠くようになって行く。

病を圧して漁に出ようとする父親を、如何にか寝かし付けて、少女はため息を吐く。
空腹も辛いけど、自分の為に無理をしようとする父の姿を見るのはもっと辛い。
今、もしも手元にお金が有ったら、食べ物よりも薬を買うだろう。

春。

夏。

秋。

冬。

――少女は、今日も海に向かう。

海岸の小高い丘の上には、一本の石柱が佇んでいる。
其れは遠い昔に力を振るった女神を祀った物だった。

父が寝物語に語ってくれた、少年と女神の恋物語。
病に苦しむ人の願いに応えて地上に顕現した、癒しを司る光の女神。
此処は嘗て彼女を祀っていた神殿の跡地と言われている。

嵐は一夜明けて、嘘のように晴れ渡っていた。
潮騒の砂浜を、冷たい潮風が吹き抜けて行く。

少女が祈り始めてから、既に一年が過ぎようとしていた。
父親の容態は一向に良くならない。
其れでも、医者にも薬にも頼れない少女が縋れる物は他に無かった。

「ティララ様……お父さんの病気が全然良くなりません。お願いです、どうか助けてください……」

真摯な祈りも届かない。
何せ、当のティララは壷の中に引き篭もって、海底で深い眠りに就いているのだから。

「助けて……お願いだから助けてよっ……このままじゃ、ファルのお父さん、死んじゃうよぉっ……」

悪化の一途を辿る父の病状。
既に死相すら浮かべる様になっている。
長くは持たない事は、誰の目にも明らかだった。

徒、祈る事しか出来ない自分の無力さが哀しかった。
もしも自分に癒しの力が有れば、お父さんを救えるのに。
病気や怪我で苦しんでいる人達を救ってあげるのに。

女神様は、応えてくれない……。

「……帰ろう。お父さんの看病、しなきゃ……」

朽ち果てて崩れ落ちた白亜の神殿。
今となっては建材の巨石が幾つか丘の上に遺っているだけに過ぎない。
嘗てこの柱の元に女神が居て、誰もが救いを得る事が出来たと云う。
其の時代に生きていたら、救って貰えたのだろうか。

項垂れて砂浜を歩く少女の目に映ったのは、金属とも陶器ともつかない不思議な素材で出来た鈍色の壷。
蓋と胴の繋ぎ目に青い石が四つ嵌め込まれていて、紅い染料で奇妙な文様が全体に刻み込まれている。

……昨夜の嵐で海岸に流れ着いたのだろうか。

『壷は魔神の入れ物』

村の古老に聞いた事がある。

『魔神は不老不死。人智を超えた不可思議な力を持っておる。じゃが……』

「魔神は、人に害を為すから、決して開けてはならない……」

古老に教わった言葉を、鸚鵡返しに繰り返しながらも、少女は壷に惹き付けられていた。

「魔神の力は常に代償を欲するから、決して魔神に頼ってはいけない……」

ああ、それでも。

だとしても。

「お願い……もう、魔神でも悪魔でもいいから……お父さんを助けてっ!!」

少女は伝承を知りつつも、壷を開けた。
苦しむ父を救う為には、藁にも縋る思いだった。
予想外に軽く蓋は開いた。だが……

「……そうだよね。そんなに巧い話がある訳無いよ……」

がっかりしたような、ほっとしたような、そんな気持ち。

只の骨董品の壷だった、其れだけの話だ。
魔神は出て来なかったけれど、これを売れば少しは食費や薬代の足しにはなる。
少女が壷に手を伸ばした其の時――。

壷の中から俄かに暗雲が巻き起こり、轟音と共に閃光が空を引き裂いた。

「みっ、みぃぃぃぃーーーーーっっっ!!?」

『――娘よ、私を召んだのはお前か……』

まるで嵐が戻って来たかのように、昏い空、荒れた海。
黄金色に輝く鱗に身を包んだ巨竜が、遥か上から少女を見下ろしていた。

「まっ、ま、ま、ま、魔神、」

『……私の名は天界龍アドーナ。良くぞ壷を開けてくれた。仮初の自由を与えてくれた礼として、お前の願いを一つだけ聞いてやろう……』

「――っ、ほっ、本当に願いを叶えてくれるのっ!?」

『……其の為に私を召んだのではないのか……?』

「だったらっ、ファルのお父さんを助けてっ!お父さんの病気を治して欲しいのっ!」

面白い娘だ。

年老いた天界龍は思う。

先程まで怯えて竦み上がっていたのに。
この私に願い事をした人間は数多く居たが、己の欲望を充たすのではなく、
他者を救う為に願いを使おうとする者は数える程しか居らんかったよ。

『……娘よ、私はお前が気に入った。出来る事ならば助けてやりたいが、私は召還主たるお前にしか魔法を掛けてやる事が出来ぬ……』

「ふぃぃ……駄目なの……?」

『……だが、一つ、お前の父親を救う方法がある……』

其の昔、病に苦しむ者が女神の壷を掘り当てた時、全ての人間が平等に救いの恩恵を受けられた。

現在、魔神が召還主にしか救いの恩恵を与える事が出来ないのは、欲暈けて身内争いをする人間への神罰か。

人々を救済する事に疲れ果てた女神への、神からの慈悲か。

はたまた……少女が辿る不幸の運命さえも物語に織り込もうとする、身勝手な神の都合に拠るものか……。

ガタ、ゴト。 ガタ、コト。 ガタ、ゴト。

少女と父親を乗せた馬車は、石畳の街道を走り続ける。


天界龍アドーナが示した方法とは、少女が龍の力を手に入れる事だった。

『……龍の血は万能の薬になる。己の血を父親に与えれば、如何な病であろうと治す事は出来るだろう……』

些かの逡巡も無く、少女は承諾した。

『……私は気が進まぬが、お前が望むならば力を与えよう……』

あの時、天界龍には少女の辿る運命が予見出来ていたに違いない。
過ぎたる力は身を滅ぼす。
人間と言う種族がどれ程強欲で、身勝手で、愚かな連中であるかを、天界龍は身を以て熟知していた。

だが、召還主が願うのであれば、叶えねばならぬ。
与えられた力が、少女にとって善き未来を切り開く事を祈りながら。

眩い光に包まれた少女が次に目を開いた時、天界龍の姿は無かった。
壷の呪縛によって、再び囚われてしまったのだろう。
自分の身体に宿った力に実感が湧かぬままに、少女は父の待つ家に帰って来る。

血を吐きながら激しく咳き込んでいた父親。
指先を傷付けて、滲み出る血を与えた。
苦しみは嘘のように消え去り、翌日には完治してしまった病。

嗚呼、あの時から、少女の運命は狂い始めていた。

『ファル!私の可愛い娘!』
今日も、父親は、愛しい娘の腕を切る。

ガタ、ゴト。 ガタ、コト。 ガタ、ゴト。
回る、回る、馬車の車輪。歪んだ運命は止まらない。

初めは、明日の糧を得る為に。
次は、失った家財を取り戻す為に。

一度、安易な搾取を覚えてしまった人間が、地道な労働に戻れる訳が無い。

初めは、病に苦しむ人々を救う為に。
次は、愛する父親の期待に応える為に。

腕を切り、血を流し、父親の愛を買う。

『(病気や怪我で苦しんでいる人を助けてあげたいの)』

――金貨の音と引き換えに?

『(いい子にしてたら、お父さんが喜んでくれるの)』

――手に入れたのは、本当の愛か?

父親(タフムーラス)は、愛しい娘(ファルドゥン)の腕を切る。
貧しい漁師は今や押しも押されぬ薬品商。
娘の血を調合した秘薬を高値で売り捌き、巨万の富を築き上げる。
万能薬の噂は広まり、秘薬の値段は天井知らずで高騰する。

庶民には高価で買えない龍血の秘薬(ドラゴンブラッド)。
でも、其れは少女にとって、不幸中の幸いだったのかも知れない。
父親の商売が繁盛する程に刻み込まれて行く、両腕の無数の傷跡。
病み苦しむ全ての人に血液を与えていたら、命が幾つ在っても足りやしない。

『もしも自分に癒しの力が有れば、お父さんを救えるのに。病気や怪我で苦しんでいる人達を救ってあげるのに』

嘘ばっかり。
自分だって、光の女神と同じだ。

金貨の袋が幾つ積み上がっても、腕を切る日々は終わらない。
何処までも貪欲で、愛する娘を切り売りし、金の多寡で救う人を選ぶ父親が咎人ならば。
誰かを救える力を持っているのに、傷付きたくないと願ってしまうのは罪では無いのか。
そんな事を考えて、少女は父親の要求を拒めないで居る。

天鵞絨の黒いドレス。
大粒の宝石を鏤めた沢山の装飾品。
髪と瞳に湛える青は、沈鬱な海の深淵の色。
(嗚呼、愛する父親と何時も一緒に居られるようになったのに!)
少女の表情に笑顔は見えない。


ガタ、ゴト。 ガタ、コト。 ガタッ!

――突如、単調なリズムが崩れた。

崩落する石畳。
前輪から穴に落ち込んで転倒する馬車。
馬の嘶き、割れた硝子。

「何事だ!?」

叫んで馬車の外に飛び出した父親の目の前で、矢襖になって倒れる御者。

「動くな!両手を挙げて大人しくしろ!」

引き絞った弓を手に、街道脇の林から黒覆面の男達が複数人飛び出して来る。
たじろぐ父親。
強盗か、暗殺者か、何れにせよ只事ではない。

「くっ……貴様ら、何が目的だ?金か?金なら幾らでも――」
「みぃぃぃぃーーーーーーーっっっ!!!」

馬車から引き摺り出された少女が悲鳴を挙げる。

「俺達が欲しいのは金じゃなくて薬だよ、業突く張りの伯爵さんよォ!」

一閃。ブロードソードの刃が父親を袈裟懸けに切り倒す。

「お父さんっ、お父さんっ、おとぉさぁぁあーーーーんっっっ!!!」

少女の悲鳴が絶叫に変わる。
麻袋に頭から突っ込まれて、馬に載せられ何処かへと浚われて行く。
父親に血を与える事が出来れば、致命傷でも癒せるのに。

やがて、目的地に着いたのか。
馬は脚を停め、麻袋は見知らぬ廃屋の朽ちた部屋の隅に放り出される。

「みぃっ!」

背中を強打して涙目になりながら、麻袋からそっと頭を出してみる。
薄暗い狭い部屋の中に、剣を佩びた強面の男達が十数人。
其の他にも、老若男女、様々な人が集まっている。

「本当に間違い無ぇんだろうな?」
「ああ。俺は確かに見たぜ。この娘が血を与えて、翼の折れた鳥を治してた所を……」
「だったら手前で試してみても文句は無ぇよな?」
「へ?あっ、あぎぃぃぃーーーーっ!!!」

突然、ダガーを抜いて、一方の男がもう一方の男の胸を深く突き刺す。
そして麻袋の方へと歩み寄り、少女の腕を掴み出すと、無造作に一筋の傷を入れた。
迸る鮮血。酒杯に受けて胸を刺された男に飲ませる。
それだけで、死に掛けていた男が目を開いた。胸の傷も粗方塞がっている。

「なるほど。確かに、この娘の血が秘薬の材料で間違い無さそうだな……」

「………っ、いよっしゃァァァァーーー!!!」「これでうちのカカアの病気が治る!!」「父ちゃんの怪我も治るんだっ!!」

麻袋を取り囲んでいる者達が歓声を挙げる。
少女の下に殺到しようとする人々の群れを、先程ダガーで胸を刺した男が手を挙げて押し留める。

「待て!お前ら、殺しちまっちゃ元も子も無ぇだろうが!」

白銀の髪、頬に刀傷、隻眼で痩せぎすの其の男は、ダガーの平で少女の頬を叩きながら、冷酷な笑みを浮かべた。

「血の量には限りが在るんだぜ。まずは死に掛けの重病人から連れて来い!」

陽の光の射さない暗い地下牢。
頑丈な石造りの壁は常に湿り気を帯びていて黴臭く、
肌を突き刺す寒さは生きる気力を奪い去って行く。

身に着けていた装飾品を全て剥ぎ取られた後、少女は牢に繋がれた。
錆びた鉄格子には多重の錠前。
おまけに、手足には枷を嵌められて、身動ぎもままならない。

此処には、時の流れが存在しない。
囚われてから幾日が経過したのか、幾時間が経過したのか。
与えられた粗末な毛布に包まって、座り続ける。

何時しか眠りに落ち、目覚めては、
是が酷い悪夢では無く、紛れも無い現実であると思い知らされる。
そして、幾度と無く、其れを繰り返す。

時折、食事が差し入れられる。
僅かばかりの肉の脂身と野菜屑の入った、塩の味しかしない冷めたスープ。
其れと引き換えに、腕を切られては、血を抜かれる。

死なない。死ねない。
少女が得たのは、今や限りなく魔神に近い、頑強な龍の肉体。
天界龍アドーナの因子は、少女が死に近付く程に、少女を不老不死に近づけて行く。

遠くなる意識。
希薄になる生への渇望。
抜かれる血の量は、日を追って増えて行く。

『済まない。我々には君の血が必要なんだ』

男は、少女の腕を切る。

『ごめんなさい、ごめんなさい、ありがとう、ごめんなさい』

女は、少女の腕を切る。

『これまで散々贅沢して来たんだ。少しくらい血を抜かれても構わないだろう!』

貧しくて、龍血の秘薬を得られぬ人々。
ならば、奪い取ってしまえばいい。

――少女の目から、光が消えて行く。

『ねぇ、教えてよ』

スープの匂いがした。
虚ろな瞳の少女は、擦り切れた服の袖を捲って腕を出す。
無数に刻まれた無残な傷跡。
紅い華は既に白い華よりも広く酷く咲き乱れて。

「君の名前を教えて。友達になって欲しいんだ」

洸に揺れる燈(ランプ)の灯。
薄暗い地下牢で、自分よりも少しだけ年上らしい、少年の橙色の髪は、
忘れ掛けていた太陽の光と似ていると、少女は思った。

鉄格子越しに沢山話した。
少年は駆け出しの盗賊で、白銀の髪、頬に刀傷、隻眼で痩せぎすの男は、彼の父親。
悪どい貴族や富豪から財物を掠め取っては、貧しい人々に分け与える、指名手配中の大義賊で、
秘薬を買えない貧しい人達の為に、伯爵襲撃を敢行した英雄。
外の世界では、今、疫病が猛威を振るっている。
龍血の秘薬を必要としている人達が沢山居て、高値で秘薬を売っていた少女の父親は、彼らにとって悪役だった。

「……………」
「でも、僕は僕の父さんが本当の英雄だとは思えないんだ」

娘の血を高値で売り飛ばす伯爵の行為は、紛れも無く鬼畜外道の所業だが、
龍血の秘薬の価格が高騰するのは、需要と供給の関係を考慮すれば必然と言える。
貧しいからと云って。必要としているからと云って。
真っ当に稼いだ結果として富んだ者の財物を強奪する行為は正義とは云えない。

「僕の父さんが、君の父さんを殺してしまったんだ。其の上、君にまで、こんな酷い仕打ちを……」

痛々しく包帯を巻き付けられた、無数の華を咲かせる両の細腕。
少年が、少女の小さな手を取る。

「一緒に、此処から逃げだそう」

憐憫の情や自責の念、或は状況酔いの勘違いが無かったとは言い切れない。
だが、少年はこの可憐な悲劇の少女に魅かれていた。
恋は盲目、欲しくなったら力づくでも。
少年には紛れも無く父親の血が流れていた。
或は、転生を繰り返しても消える事の無い業の様な物かも知れぬ。

革の鞄から盗賊の七つ道具を取り出すと、少年は瞬く間に牢獄の扉を開錠してしまった。
鉄格子に巻き付けられた鎖を繋ぐ、無数の錠前も、手際良く次々に外して行く。
少女を手枷と足枷から解き放ち、

「さあ。行こう、ファル!」

少女は躊躇い、目を伏せる。

「ファルが居なくなったら、病気の人達が困っちゃうよ……?」
「だからって、君にだけ犠牲を強要するのは間違ってる!」

力強く輝く瞳に勇気付けられて、少女は少年の手を取って走り出す。
鉄格子を抜け出ると、自分が囚われていたのと同じような牢が無数に並んでいるのに驚く。

「此処は僕の父さんがアジトとして使っている古城の地下牢だよ。城の周辺には魔物も棲んでいるから、王国の軍隊だって容易には入って来れないんだ」
「ふぃぃーっ、食べられちゃったりしないかなぁ」
「大丈夫。僕が君を守るよ。絶対に僕の傍を離れないで」

何処までも続く真っ暗な石の回廊を、燈の灯だけを頼りに、曲がり角を幾つも折れながら走り続ける。

『おのれ…魔導王っ……』

「みぃっ!?」

無人の牢獄の中から聞こえて来る、怨嗟の声。

『よくも…よくも我らを…こんな姿に…っ…』
    『殺せ…殺し…てくれ…』
  『苦しい……誰か、助けてくれ…』

既に半分、魔神と化した少女の耳にしか届かない声。
嘗て魔導王の手によって、禁術の被験体とされて、不完全な不死を得てしまった奴隷達の呪いの声。
死して肉体が朽ち果てても、尚、彼らは転生の理から弾かれて、この場に留まり続けている。

此処は恐ろしいところだ。
何か途轍もなく良くない事があった場所だ。
けれど、何故か……声に対する恐怖よりも、やりきれない悲しさを、少女は感じた。

「頑張って、ファル。其処の階段を上れば、もうすぐ外に出られるから!」

地下牢を抜け、広大な城内を走り続ける。
高い天井に響く足音。
永遠に続くかのように思われた迷宮の出口が見えて来る。
階段を駆け上り、城外へと続く大広間。

「其処までだ!」

少年と少女を取り囲む、銀髪の男と手下達。

「誰かと思えば、てめぇかよ、バカ息子……」
「……」
「今すぐに其の娘を牢獄に戻すんだ。そしたら冗談で済ませてやるぜ……?」

少年は無言で短剣を鞘から抜き放つ。
少女の髪と同じ、深く透き通った紺碧の刃。

「……そうか、いい度胸だ。覚悟しやがれ!!」

一斉に切り掛かって来る手下達。
少年は少女を背後に庇いながら、瞬く間に二人を切り伏せる。

「みぃぃぃぃーーーーーっ、駄目なのーっ!殺しちゃ駄目なのーっ!!」
「ちょっと眠ってて貰うだけだよ!危ないから、ファルは下がってて!!」

突き出された細剣(レイピア)の刃を受け流し、相手の懐に潜り込んで切り付ける。
少年の刃が軽く当たるだけで、男達は次々と倒れて行く。
夜の眠りを封じ込めた、魔神戦争時代の遺産、《ミッドナイトブルー》の力だ。

「もういい……俺が片を着ける。てめぇらは下がってろ!!」

銀髪の男が、波打つ朱い刃の短剣を抜き放つ。
赤熱する刃は陽炎に揺らめいて、対峙する者の距離感を狂わせる。
深夜の碧と対を為す、今や製法の失われた魔法の武器、《カーマイン》。

大広間を南北に分かつ内門から、飛び降り様の一撃。
手下の雑魚とは比べ物にならない太刀筋の鋭さ。
まるで猛禽(クライン)の様に、速く重い初撃を、少年はどうにか受け止める。

「リト!てめぇ、自分が何をやっているのか解ってんのか!?」

振り出される刃を大きく躱す。
普段通りスレスレで避けていたら当たってしまう。
反撃の隙を窺うが、体勢を整える暇も無い。

「てめぇが情に流されて娘を一人逃がす事で、何人の人間が病に苦しみながら死んでく事になると思ってる!?」
「そんなの……そんな事……僕にだって解ってる!」
「いいや、解ってねェッ!!」

少年の左腕に、赤い線が走る。
血肉の焼け焦げる凄惨な臭い。

「ぐぅ…ッ、こんなの、英雄のやり方じゃない!父さんは間違ってる!」
「青臭ぇ事抜かしてんじゃねぇぞ、糞餓鬼ッ!てめぇの其のチンケな力で、誰が救えるってんだ、あぁっ!?」

少年の短剣が弾き飛ばされる。
空かさず踏み込んで来る、銀髪の男。

「世の中、誰もが幸福になれるように巧くは出来てねぇッ!誰かを切り捨てなきゃやってけねぇなら、最小の犠牲で可能な限りの人間を救ってやるのが利口なやり方ってもんだろうがよッ!!」

少年は後ろに跳び退り、落ちて来る短剣を受け止めると、半身を翻して朱の波刃を受け流す。

「あんたは他人事だからそんな酷い事が言えるんだっ!自分がこの娘の立場だったら、皆を救う為に自分の血を差し出すのかよっ!!」

そのまま切り返し、鋭い突きを繰り出す。

「ああ、他人事だとも!誰だって自分と自分の身内の為に、他の奴を犠牲にして生きてる!人間、獣、魚介類、植物、他者から何の収奪もしねぇで生きている命なんか在るか!!」

半歩下がって短剣の柄で紺碧の刃を受け止め、全体重を込めて少年を蹴り飛ばす。

「そうかよっ、だったら僕も好きにさせて貰うぜっ!何処の誰だか知らない病人よりも、僕はこの娘を助けてあげたいんだッ!」

立ち上がり、全力で突き掛かる。

「リト。其の娘はやめとけ……人間じゃ無い」
「ファルが人間じゃ無かったら、一体何だってんだよっ!魔物か?魔神かっ?」

身を躱した銀髪の男を追って、剣を横薙ぎに振り回す。
受け止める朱の刀身、ギリギリと競り合い、互いに一歩も譲らない。

「血を飲むだけで半死人が生き返る、どれだけ腕を切って血を絞り取っても死にやがらねぇ、そんな人間が何処に居る!」
「人間じゃ無いのは、人間らしい心を持ってないあんた達だろッ!!」

銀髪の男が押し負ける。
少年が紺碧の刃を振り被り、父親目掛けて振り下ろそうとした刹那。

轟音と共に城門が打ち破られ、武装した無数の兵士達が城内に向かって殺到して来た。

「娘を探せ!賊は皆殺しにしろ!一人たりとも生かしておくな!!」

趣味の悪い、無駄に豪華な黄金細工の鎧を身に纏い、私兵と借り上げた王軍に指令を下している男。

「お父さんっ!?」

城内に反響する、爆裂玉の破裂音。
其処彼処で剣戟の音が響き渡り、怒号、絶叫、断末魔。
多勢に無勢、為す術も無く蹴散らされる盗賊達。

秘薬の秘密を知る者は一人残らず殺してしまえ。
場に居合わせた病み苦しむ人々諸共に掃討。
飛沫く血潮、差し込む夕日、城内は今、阿鼻叫喚の紅い地獄と化す。

「生きてやがったのか、伯爵(タフムーラス)!」
「ふん。幸い、龍血の秘薬を持ち合わせていたのでね!」

そうだ、タフムーラスは常に小瓶に入れた龍血の秘薬を持ち歩いていた。
富と権力に纏わり付く、望まざる凶客に備えて。

「君も一つどうかね?高価くて買えないだろうがな!」
「変わらないなぁ、伯爵!あの日、あの時も……」

猛り狂う激情を映して朱き刀身が螺旋に踊る火の粉を纏い、
炎の照り返しを受けて燃える白金(シロガネ)の髪、

嗚呼、そうだ。あの日、あの時も……

「其の薬があれば、妻(ティリア)は死なずに済んだんだ!」

男が振るう緋燕の刃が伯爵に届くより早く、風を切って放たれた無数の太矢(クォーレル)。

「おおおおおおーーーーーっっ、タフムゥーーラァァァァーーース!!!」

ほぼ全身隈なく刺し貫く無数の矢。
流れ出る血は求めて止まなかった秘薬の赤。
生命が、零れ落ちて、往く。

このまま、全てが喪われてしまうのならば。

「お前に、渡して堪るかよ!!」

男が。
振り向き。
少女に向けて。

――朱の短剣を投げ放った。

「みぃぃぃぃぃーーーーーーーっっっ!!?」
「――ファル!」

ぽたり。
 ぽたり。ぽた……

少女の頬に降り掛かる暖かな液体。
脇から飛び出して来た少年が、少女に覆い被さる様にして、己の躯で短剣を受け止めていた。

「リト!?リト、リトっ――」
「へい、き……大丈夫だよ、この……ぐぶっ!」

少年の胸から突き出す、細剣(レイピア)の刃の尖端。
紅い、波刃のあの短剣とは異なる。
背後から少年の胸を貫いていたのは、少女の父親、伯爵(タフムーラス)。

「リ……ト………?」

秘薬の秘密を知る者は一人残らず殺してしまえ。
糸の切れた操り人形の様に、力無く其の場に崩れ落ちる。
少年は、もう、少女の声に応えない。

「どう、して……お父さ…ん……リトは、ファルのこと、」
「ファル、私の愛しい娘。恐かったろう――」
「…そう、だ、血を……」

少女は細剣の尖端で掌を切る。
滲み出る紅い雫を、口移しで少年に飲ませる。

……龍血の秘薬も、死の運命は覆せない。

「ねぇ、起きてよ……リト……嘘だよ、こんなの嘘……」

一緒に逃げてくれるって約束した。
ファルの事、守ってくれるって約束した。
それなのに。

「……父…さま……」
「何だい、ファル」
「父さま…は、ファル、を置いて居なく…なった…り、しないよ…ね…?」

少女は縋り付く様な目で、愛しい男を殺した父親に問い掛ける。

「ああ、勿論だとも。私はずっとお前の傍に居るよ」
「父さまは…ファルを、愛してくれるよ……ね?」

もしも、私が血の力を喪くしたとしても。

貴方は、私を、愛してくれますか?

「勿論だとも、私の愛しい娘。お前は神からの授かり物だよ!」

少女を抱く、伯爵の腕。

嗚呼、何時からだろう。
この人が、『私』を抱き締めてくれなくなったのは。

天蓋付きの大きなベッド。
高価な絹をふんだんに使ったカーテン。
伯爵領の城砦の大きな一室。

緻密な浮き彫りの施された紫檀材のキャビネット。
艶の有るウォールナット材のドレッサー。
沢山の衣装と装身具、輝く宝石、それと甘いお菓子。

窓には、鉄格子。
扉には、沢山の錠前が付いた丈夫なミスリルの鎖。
廊下には、動力球で動く守護人形達。

ファル、私の可愛い娘。
お前は今日から此処で暮らしなさい。
もう何も怖がらなくていい。
お前を二度と他人の手に渡したりなどしないから。

少女は金の鳥籠の中。
大切な宝物に鍵を掛けて、
窓の外の世界はもう見えない。

少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。

『こんな血なんて要らない……』

少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。

『全部流れて無くなっちゃえばいい……』

少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。

『リト、助けて…リト、助けて、リト、リト、』

少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。
少女(ファルドゥン)は、自分(ファルドゥン)の腕を切る。

部屋一面に咲き乱れる赤い紅い朱い華。

どれだけ躯を切り刻んでも、少女は死ねない。

例え世界を敵に回しても、君と生きたいと願った。

――雨の中、少女は空を見上げて立ち尽くす。

どれくらいの時間、道具屋の店先で其うして居ただろうか。
呼び鈴の音がして、背後の扉が開いた。
投げ掛けられた、大きくてふかふかのバスタオル。

「何時まで外に居るんだよ。いい加減にしとかないと、風邪曳いちまうぞ」

わしゃわしゃと、少女の濡れた青い髪を拭き取る、タオル越しの大きな手。

「みぃ……」
「服もびしょ濡れじゃないか。イリスが風呂沸かしてくれてるから、早く入って来い」
「ファル、お水、平気だよ」

服の裾を捲り上げてぎゅっと絞る。

「……平気とか、そういう問題か……?」

少年は呆れて肩を落とし、頭を抱え込む。
そして軽く溜息を吐きながら、背中から少女の小さな身体を抱き締めた。
冷たい雨から守るように、少女に覆い被さる様にして。

「……リト、風邪曳いちゃうよ?」
「いいよ、どうせもう下着や靴下までびしょびしょだし」

暖かい、背中。
濡れた服越しに感じる体温。

もしも、あの恋物語に続きがあったなら。

「あのねー、リト。百匹の魔物に囲まれちゃったの」
「ファルの魔法の出番だな」
「ところがどっこい、ファルは魔法を封印されてしまったの!」
「問題無い。さっきイリスに苦いドロップを大量に売り付けられたばかりだ……」
「ふぃぃー。ファル、苦いドロップ大嫌いなの」

少女は、少年に問い掛ける。

「ファル、苦いドロップ飲まないよ?」

少年は、苦笑しながら少女に答える。

「だったら、一緒に逃げる、かな」

『一緒に、此処から逃げだそう』

「逃げ切れるかなぁ?」
「大丈夫、俺がそんなお子ちゃまなファルを確りと守ってやるさ」

『大丈夫。僕が君を守るよ。絶対に僕の傍を離れないで』

「ふぃぃー。ファル、お子様じゃないよー」
「お子ちゃま、お子ちゃま♪」

リトは鈍感だから気付かない。

空を見上げるファルの嬉し涙が、雨に溶けて頬を伝っている事に。

「――リトの為なら、苦いドロップも飲めるもん」

繋ぐ其の手。
二人でなら、きっと。
あの遠い空を越えて、何処までも往けると思った。

エピローグ。  カーミラの手記より抜粋。


「え?ドラゴンブラッドって名前なのに、龍の血は入ってないの?」

窓の無い薄暗い部屋、手が触れてしまいそうな低い天井の館。
マスターが調合したばかりの薬をたがめすがめつ眺めながら、あたしは驚きの声を挙げた。
瓶に詰められた紅いどろりとした液体は、何処からどう見ても血にしか見えない。

「うん、薬の材料は植物性の物ばかりだよ」

七種類の生薬を配合。
薬効成分龍酸ファルフェノミンが、酷い怪我や病気に良く効きます。
(既に死んで転生してしまったもの、存在に固定されてしまった古傷には効き目がありません、ごめんなさい。)

「うそーん!それって詐欺じゃん!」
「おいおい、人聞きの悪い事を言わないでくれよ。ボクの薬の効き目はカーミラも良く知っているだろう?」
「はふっ、そ、それは、その、あの……」

身を以って良く知っている。
マスターってば、時々、媚薬なんかも処方して、あたしで試したりもするのだ。

「効果の方は折り紙付き。ちゃんと本物と同じ様に効くよ、これ」
「はえぇ〜、人間の科学技術って凄いんだねぇ〜」
「希少な本物の龍の血を使ってたんじゃ、需要に供給が追い付かないからね」
「足りなきゃ作っちゃえばいいんだよねぇ」

誰もがあたしのマスターみたいに何でも作り出せちゃう訳でも無いから、世の中巧く行かないんだけどねぇ。
その昔、人間達は幸せに生きる為に、秘薬を奪い合って悲惨な殺し合いをしたのでした。
それってすっごく不毛って言うか、本末転倒だよねぇ……。

「でも、綺麗な赤だねぇ、このお薬」
「ん?ああ、この色はボクが趣味で付けただけ」
「うぁぁ、マスターまた妙な所に拘りを入れるしぃ……」
「龍血の秘薬のお陰で流行り病から救われた人って、結構な数居たそうだよ」

例え高額で買い取った薬でも。
例え暴力で奪い取った薬でも。

哀しい物語の裏側で救われた人達にとって、龍血の秘薬は紛れも無く希望だったと思うんだ。

……そう、あたしのマスターは言った。

だったらいいな。
だから、あたしのマスターは、お薬に希望を込めて龍の血の名前を付けたのです。
世の中に普及して、皆の怪我や病気が治ったら、素敵だよねぇ。

『ごめんくださーい』

館の扉に取り付けられたドアベルの音。

「あーっ、イリスちゃんナイスタイミングー」
「丁度、今、注文の品が上がった所だよー」

あたしのマスターが転生して戻って来てから、イリスちゃんは度々館に訪れては、調合の難しいお薬を大量に発注するようになったのです。
乙女丸片手に、何処からか大量に掻き集めて来た古銭を持って。
出所は聞かないよ?聞かない。それがあたし達の商売のルールだからねぇ。

「はい、ドラゴンブラッド6ダース」
「ねぇねぇ、イリスちゃん。売れ行きはどう?」
「それが…その……」

鞄から取り出す不良在庫の山、山、山。
っていうか、あの、前回の納入分、一個も売れてないんじゃ……。

「あー、うん、みんな健康で何よりだと思うよ……」

長い沈黙を破ってマスターがぽつりと呟いた。
崩れ落ちて泣いちゃうイリスちゃん。
魔神だから一ヶ月や二ヶ月食べなくても死なないけどさ。

……売れたらいいな、龍血の秘薬。

便利だよ?お値段たったの250G。冒険の際は是非お買い求め下さい。