「Nepheshel -霧の中の伝承歌-」

著者:皆川 新茶

★プロローグ
 ★数々の邂逅
  ★光の面影と、無邪気な悪戯屋達
   ★蒼の少女
    ★逝く人、残る人
     ★家族
      ★破滅への足音
       ★風に語らう

『蒼の少女』

「……」
 リトは自分の好奇心の強さに、少し後悔していた。一体全体、どうしてこの壺を買ってしまったのだろうかと。否、世界を滅ぼしただの何だの言われて散々忠告されていたはずなのに、何故この壺を開けてしまったのだろうか。いや、そもそも、それ以前にもっと重要な事がある。
(俺はどうすればいいんだ……)
 壺の中から突然現れた蒼い髪をした少女に見つめられ、リトはどうすることも出来ずに固まっていた。

 ――――。
 事の発端は、骨董屋。
「お邪魔します、荷物お届けに上がりました」
 という一言で、リトは例の骨董屋へと足を踏み入れた。そこはありとあらゆる骨董品がごった返す本当に小さな店で、同時に古びた匂いの立ち込める妖しげな雰囲気の店であった。ごった返す、数多くのいわくありげな品々。その奥に置物と見間違えるほどに、ぽつんと動じずに座った老人が一人、リトの様子を窺っていたのだが、それに彼が気が付くまでには、大変な時間を要した。
「留守なのかな」
「おるわい、ここに」
 その言葉を発するまで、本当に彼は気が付かなかったのだった。確かに、その古びてよれよれになった服、捻じ曲がった樫の杖を持つ姿は、骨董品と同じ匂いを漂わせていて、すぐに見つけるほうが難しい。しかし、よほどリトが見つけるのに時間がかかったせいか、その老人は深い皺の刻まれたその顔を、不満でより一層しわくちゃにしていた。リトに、気まずい笑みが浮かぶ。
「修行が足りんぞ、若いの」
「す、すみません……」
 むっとした顔のままの老人にねめつけられた彼は、もはや蛇に睨まれた蛙状態であった。それでも、その謝罪の一言を何とか頭から喉へとしぼり出し、頭を深々と下げる。
「ふうむ、まあ、その礼儀の良さに免じて許してやるわい」
 それで態度を少し軟化してくれた老人であったが、今度はリトを値踏みするかのように下から上へと眺め、その白くて長い髭を触りながら目を細める。リトはといえば、身を強張らせて老人の様子を窺っていたが、先の一言によって、ほっとしたように彼へと歩み寄り、荷物を手渡した。老人はその中身を確認すると、そっと背もたれにしていた棚へと、それを片付け、振り向いた。
「確かに預かった。さて、イリスちゃんは元気かの?」
 イリス、という名を出した瞬間に、老人の顔は先ほどの険しい表情から、まるで遠くにいる孫の安否を気遣うようなものに変貌する。リトもその変わりぶりに一瞬呆気に取られたが、彼女が息災である事を彼に告げた。相好を崩し、老人はリトの答えを満足げに頷きながら聞いていたが、それはリトの話し方、というよりも、イリスが元気であるという事に向けての笑みだったらしい。この態度の差には、リトも苦笑い。
「そうかそうか。じゃあ、若いの。何か一つ買っていってくれんかの?」
 しかも、そう来るからたまったものではない。ここにいては危険だと本能が察知したのか、急いでリトはここから脱出するための言い訳を考え、とっさに声に出した。
「あ、いや、急いでいるので――」
 しかしながら、老人の方が一歩上手というのは案の定で。彼が全て言う前に、大げさに耳へと片手を持っていき、目を細めてわざとらしくこう言い放ったのだった。
「――よく聞こえんのう。今何と言ったか、若いの?」
 どうやら、逃がしてくれないらしい。リトは、すぐに悟った。そして、先ほど自分を見ていた老人の目が、腰の財布に行っていた事も。いやはや、何とも強かな老人だと心の何処かで思いながらも、困り果てたリトは骨董品の数々を見て回ることにした。
「………うわあ」
 まさに、ピンからキリまで。この雑多に積まれた骨董店の品々は、そう形容する他になかった。それこそ、ぼろぼろになって使い物にならない鎧から、旅人の最後の命綱とも言えるゲートクリスタルまで売られている。その中で特に目立っていたのは、宝石類であった。炎や水から身を守る守護石という品々は、冒険者にも愛用される御守りらしい。決して安価とは言えないが、相手によってはかなりの効果を期待できる、との事。しかし、リトがそれ以上に惹かれたのは、老人のすぐ前、カウンターらしき台に乗った、とある一つの壺であった。
 無機質であるはずなのに、どこか生物的な印象を受ける小さな壺。青い宝玉の散りばめられたそれは、まるでリトに訴えかけるかのように、彼の心の中に自己主張をしている。思わず、それに応えようとしてリトも手を伸ばす。しかし、それを止めたのは。
「開けてはならん!」
 老人の絶叫に似た声であった。突如止められて、どうして、と言いたげに向けられたリトの眼差しに、彼は一度咳払いをしてから樫の杖で壺を指しながら、解説を始めた。
「これはの、世界を破滅させた魔神の入った壺なのじゃ!」
 胡散臭い、というのがリトの第一印象であったが、彼はその言葉を飲み込んで堪え、老人の次の言葉を待つ。だが、視線は講釈を続ける老人よりも、壺の方により多く向けられていた。深遠に引き込まれるような感覚。預かり知れぬ何かが、彼の心の奥で鎌首をもたげる。それは彼に告げた。『お前はこれを、知っている』と。
 刹那、リトの肩が、かすかに震えた。手をやる間もなく通り過ぎていった耳鳴りと頭痛に。続いて、悪寒が背中を駆け抜けていく。しかし、その悪寒もリトに何の手がかりも与えずに過ぎ去って行ってしまった。老人の話は聞こえない。これで、リトはこれからどうするかを決心した。
「……で、あるからしてじゃの、この壺は――」
「お爺さん、この壺はいくら?」
 老人の言葉を遮って、リトはそう訊ねた。自慢の知識披露を途中で打ち切られて、恨めしそうに見つめる老人であったが、その様子を眺めた後、再度ちらと財布の方を見、手を動かした。
「これくらいでどうじゃの?」
 そう言って、老人は指で「二」を示す。無論、これが指し示すのは二百ではない。当然、二千である。うっ、とリトも言葉に詰まる。それが、丁度財布の中身の金額であったからだ。彼には老人の目が、ぎらりといやに黒光りしたように思えた。
「いや、ちょっとそれは高――」
 これだけは負けられない、今度こそ、とリトも値切りに踏み切ろうとするが、やはり。待ち受けていたのはあの仕草と大声であった。
「――よく聞こえんが、何か言うたかの、若いの?」
 ……絶対に逃がしてもらえないらしい。リトは、改めて悟った。先ほどのグレッグとグレイスのしていた悪戯が、まだずっと可愛いと思えるほどに。しかし、老人はにたりと笑ったまま、彼に期待するかのように見つめ続けていた。反論したら解っておるだろうな、と、そんな声まで伝わってきそうなほどに。
 結果、彼は――おそらく高額で、財布の中の全額を払い――壺を購入させられる結果となった。満面の笑みで外まで出てきて見送ってくれた老人に、怒りや悲しみの入り混じった複雑な気持ちを抱きつつ。彼の財布は、今、ひとひらの羽根よりも軽かった。

 ――――。
「みぃみぃ、みぃ?」
 ……それから彼は、家路に着き、早速部屋に戻り、壺を開けたのであった。
 そして、その壺の中からひょいと顔を出したのが、世界を滅ぼす恐ろしい何かとは縁もゆかりも無さそうな、この小さな少女だったのである。おそらく、グレッグよりも幼い。子どもらしいまんまるの顔をリトへと向けて、ちょこんと可愛らしく小首を横に傾げている。まるで、何かしらの答えを待つかのように。
 この少女の顔を見ている限り、彼女が世界を破滅させた魔神など、到底思いつけはしない。やはり、そこは老人のガセネタだったのだろうか。勝手にリトはあれこれ逡巡し、仮説を組み立てた側から消していく。解決の糸口は見えていないらしい。そんな間でも、彼女は彼の方をじっと見ていて、ずっと何かを待っている。時々大きな目をぱちぱちと瞬きさせながら。
(彼女は俺に何を言おうとしているのだろう?)
 懸命に考える。直感はしているのだ、――おそらく魔神であろう――彼女の助けが必要だと。しかし、言葉が通じるのかさえ解らない。身振り手振りで伝える事も出来るかも知れないが、誤解の危険性の方が大きい。何せ、正体がどうであれ目の前にいるのは幼女に限りなく近い少女。何かを期待されている眼差しに向けて、乱暴な振る舞いなど言語道断である。それくらいは、記憶喪失のリトでも弁えていた。
「う、え、あの……」
 頭がいよいよ煮詰まって来ても、この状況を何とかせねばという考えだけが彼の頭を支配している。どうすることもできない。彼女のキラキラした目が突き刺さる。自分に出来る事は何か、彼女の言動に手がかりがあるのではないか。いや、彼女はみぃみぃとしか発言していない、手がかりなどあるはずが。困惑でぐるぐる回るリトの頭の中。可愛らしい少女の蒼い瞳。
「み……」
 そして、その瞬間。リトの中で、何かが吹っ切れた。
「みいみいみい、みぃみぃ、みぃぃっ!!」
 郷に入っては郷に従えという事か、吹っ切れたリトは思いのたけをその言葉に載せて叫んだ。我に返ったときには時、既に遅し。耳まで真っ赤にして、リトは彼女の様子を窺った。心臓がばくばくと苛酷な重労働にあえいでいる。緊張が、続く。
「…………。」
 しばし、突如鳴き声にも似た声を叫んだリトにきょとんとしていた少女であったが、その意味を汲み取ったのか、やがて満面の笑みを浮かべ、みぎゃ〜、と笑った。そして、言ったのだ。姿に違わぬ愛くるしい声で、自分の名を。
「みぃ、ファルなの〜!」
 ふわり、壺から飛び出して、彼女はぎゅっとリトに抱きついた。相変わらず困惑するリトなど、お構いなしに。

 こうして、この日から、彼は一人の可愛らしい旅の道連れを得たのであった。

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